9月30日、ソロモン諸島からの書簡手交式がさいたま市役所本庁舎4階市長室にて挙行
ソロモン諸島と言いますと、大東亜戦争中の昭和17年8月に、日本軍と米軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡る激戦地となりました。
しかし、そのような時代背景がありながら、同国は日本に対する認識が高くかつ理解が深い親日国であります。
ソロモン諸島からの書簡手交式に至る経緯
ソロモン諸島政府観光局日本事務所の職員が現地を訪問した際、ソロモン諸島のウラワ島と同じ読み方「浦和」という場所が日本にあることを政府関係者に話したところ、地元メディアで話題になりました。
令和2年6月、さいたま市のTwitterアカウントと同事務所のTwitterアカウントが相互フォローしたことで産經新聞(※)にも取り上げられ、ウラワ島のあるマキラ・ウラワ州の首相ジュリアン・マカア氏とさいたま市の清水勇人市長がそれぞれコメントを寄せました。そして、令和3年度に入り、同首相からさいたま市長宛ての書簡が在東京ソロモン諸島名誉領事館に送付され、このたびの書簡手交式に至りました。
書簡の内容(主旨)
さいたま市浦和区と同じウラワのつながりで、スポーツや様々な交流を希望します。また、ソロモン諸島はサッカーが国民的なスポーツですので、マキラ・ウラワ州の首相ジュリアン・マカアは、浦和区がサッカーのメッカと聞きつけ、さいたま市との交流を強く希望しております。
※ソロモン諸島のA級プロサッカーチームの世界ランクは140位で、好成績ではありませんが、U19が南太平洋の代表となりワールドカップに出場した実績があります。
まとめ
ソロモン諸島は、悲惨なガダルカナル島の戦いの時代を乗り越え、さいたま市(浦和区)に好意を抱いて表敬訪問したことが伝わる書簡手交式でした。